コラム:路面電車の衰退とは何か

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路面電車は全国の都市の至る所に路線があったが、昭和40年代のモータリゼーションの激化で急速に姿を消していった。その原因は大きく見て二つあると考えられている。

路面電車は舗石で舗装された専用の通行車線を持っていた。しかし、自動車の台数が増え、一方で道路の拡張・新設は追いつかなくなった。車道から溢れた自動車は軌道敷へしばしば進入することとなる。路面電車は自動車に比べ制動距離が長く、自動車の軌道内進入に備えて常に制動をかける態勢を取るためにスピードを抑えざるをえなくなった。さらに行政側が軌道敷内通行許可を出すと、路面電車は自動車に埋め尽くされた。運行能率の低下で、乗客は路面電車を利用するよりも歩くことを選ぶようになり、収益減少によって事業存続が難しくなった。現在新しい交通システムとしてバス専用レーンの設定があるが、専用の交通路の確保という考えが路面電車と同一なのは皮肉なことである。

もう一つは、都市変革の動きに対する対応である。高度経済成長期に都市域が拡大すると、中心部への産業の集積と郊外周辺部への住宅地の移転が盛んになる。いわゆるドーナツ化現象であるが、路面電車はこうした都市構造変革の動きに対応せず、戦前からの都市中心部のみの路線網に甘んじた。拡大した周辺部の新市街の交通サービスは始めはバス、郊外は私鉄によって担われ、都心へと流入することとなったが、バスや私鉄による大きな輸送力を十分吸収するだけの輸送力を路面電車は整備することができなかった。要因としては、路面電車が主に利用者の運賃収入で採算を図ったために資金的余力がなく整備拡張が難しく、さらに乗客の減少を招き運行が維持できなくなったことが考えられる。

路面電車の廃止と共に進んだ地下鉄の整備は、都市内交通の輸送力を増強することに成功した。しかし、地下空間の高度利用が進み、駅施設が地中深く設けられたことで、連続性が失われたことにも注目すべきであろう。エスカレーター等が設置されているとはいえ、現在の駅施設には健常者が気付きにくいバリア(障害)もまだまだ多い。全国に生き残る数少ない路面電車は、利用者を呼び戻すため、バリアフリー化を念頭に置いた施設整備を計画し、復権を目指している。

(大場 誠)



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Last modified: 2008/9/27

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