第2部 周囲との連携


この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。 無断複製・転載を禁じます。


第3章 実例・船橋駅の乗換について

1. 概要

千葉県北西部に位置し、屋内スキー場などのレジャースポットを東京湾岸エリアに有する船橋市は、都心から30km圏内ということもあって、首都圏の近郊都市として急速に都市化が進み、現在では54万余りの人口を抱える一大ベッドタウンとなっている。 面積約86平方キロメートルの市内には、JR総武線、京成本線、営団東西線をはじめ8社10路線という全国でも有数の充実した鉄道網が形成されており、主要な乗換駅が複数存在している。

今回取り上げる船橋駅は、都心へ通じるJR総武線と京成本線に、東武野田線が接続する形で交通の要所となっており、多数の乗換客がある。 また、駅前には百貨店や大手スーパーなどが建ち並び、駅やその周辺は乗換客や買物客で常時にぎわいを見せている。

この船橋駅周辺、特にJR船橋駅と京成船橋駅との間約100mは、朝のラッシュ時ともなると、昼間のにぎやかさを通り越して乗換えの通勤・通学客で大混雑する。 これには歩道の狭さや京成線の踏切による足止めなどが混雑を助長する要因として挙げられ、踏切に関しては、歩行者に限らず、車の利用者も踏切による慢性的な渋滞に悩まされている。 このような問題に対して市民の関心も年々高まり、1998(平成10)年に行われた市民意識調査では、「踏切渋滞をなくすための線路の高架化」を望む声が多数あがっている。

これらの問題は以前から懸案事項とされており、現在、駅前再開発事業や京成線船橋付近高架化事業が進められている。 こういった取り組みも含め、船橋駅の現状について、船橋市都市整備部船橋駅南口再開発事務所の方からうかがった話を参考にしながら見ていくことにする。

2. 船橋駅乗換えの現状

船橋駅は、実際にはJRと京成、それに東武の3駅が存在するが、ここでは朝の通勤時間帯を想定して、都心へ向かう通勤客の流れに沿う形で東武からJRへの乗換えと、京成からJRへの乗換えを見ていく。

●JR船橋駅
船橋3駅のうち、中心的存在となるのがJR総武線の船橋駅である。 JR船橋駅は3駅の中で最も古く、1894(明治27)年に開業した。 総武線は、1972(昭和47)年の快速線の開通により、現在、東は千葉へ、西は中央線に直通して新宿方面へ通じる総武緩行(各駅停車)線と、東は千葉、さらには内房・外房・成田方面へ、西は東京、そして横須賀線に直通して横浜・大船・久里浜方面へ向かう総武快速線の2路線に分かれているが、船橋は両線の停車駅になっており、利用客は一日約31万人を数える。
●東武船橋駅
埼玉県の大宮から、千葉県の野田・柏を経て船橋までつながっている東武野田線は、東武の中では亜幹線的存在であるが、県内においては総武地域と常磐地域を結ぶ足としての大きな役割を担っている。 東武船橋駅は1923(大正12)年の開業で、一日約11万人が利用している。

(1) 東武→JR

東武船橋駅はJR船橋駅に横付けした形になっていて、どちらも高架駅である。 東武船橋駅は野田線の終着駅なので必然的に乗客は皆下車することになるが、改札口には自動改札機が12台設置され、また改札口から出口へ続く階段も幅が広くとられているため、人の流れは比較的スムーズである。 階段を降りるとJRの改札口がすぐ隣にあり、移動距離も少ない。 また、JRの改札口は22台の自動改札機が設置されており、特に不便は生じていない。

ただ、これは定期券を持っている通勤・通学客の場合であって、駅の構造上、通常きっぷうりばまで切符を買いに行くとなると、移動距離が多少長くなる。 他に、バリアフリーの面から見ると、高架駅の構造上、階段を昇り降りしなければならないため、エスカレーター等の設置が望まれる。 実際、東武船橋駅には上りエスカレーターが設置されているが、JR船橋駅にはない。 このような改善すべきと思われる部分はいくつかあるのだが、全体的に見ると、JRと東武との乗換えに関して特に大きな問題は見当たらない。

この船橋駅、北口はすでに再開発事業で整備され、百貨店やバスターミナルなどがペデストリアンデッキで結ばれている。 ちなみに、このデッキには上り下り両方のエスカレーターが設置されていて、歩行環境は良好である。

●京成船橋駅
北口に対し、京成船橋駅のある側が南口である。 現在、京成線内で乗降客が最も多く一日約14万人が利用する京成船橋駅は、1921(大正10)年に開業したが、当時、駅の位置を選定するにあたって、先に開業していた国鉄(今のJR)船橋駅にも近く、また既存の市街地により近い位置とし、利用客の利便を図ったのであった。 この結果、船橋駅と京成船橋駅の間が100m程離れてしまったのである。

京成電鉄は、主に千葉や成田空港と上野方面を結ぶ路線である。 現在、都営浅草線や京浜急行との相互直通運転により、日本橋・東銀座・品川・羽田空港方面へ乗り入れている。 この路線は、1969(昭和44)年の営団東西線,千代田線の開業、さらに1972(昭和47)年の総武快速線の開通により、旅客の流れが変わってしまった。 特に影響が大きかったのが、東京に直行する総武快速線という強力な競争相手の出現である。 1975(昭和50)年に至っては、船橋で54%の乗客が下車してしまうという有様で、上野から25km地点の船橋がターミナルのようになってしまった。 その後、「通勤特急」(現在は「特急」に改称)を新設するなどして、最近では比率を45%にまで下げているが、依然として船橋で降りる客ひいてはJRに乗換える客が多いことがうかがい知れる。 参考までに、朝の通勤時間帯における京成の特急とJRの快速の所要時分を比べると、船橋−東日本橋・馬喰町間が京成では34分、JRだと23分、船橋−新橋間は京成で43分、JRが34分である。

(2) 京成→JR

京成船橋駅は2面2線の相対式ホームを有する地上駅で、改札口は上り下り両ホームに各2ヶ所ずつある。 橋上駅舎ではないため、上り(上野方面)ホームからJR船橋駅方面へ向かう場合、改札を出た後、線路を越えて行かなければならない。

最初に、ホーム成田寄りにある改札口からの乗換えについて見てみる。 ここは自動改札機6台が設置されているが、ホームが広いわけではないので、改札口前は大変混雑する。 改札口を出るとすぐに踏切がある。 平日朝の7時台だと上下合わせて32本の列車が通過し、昼間以上に遮断機が下りている時間が長くなる。 さらに昼間以上に踏切を渡る歩行者が増えるので、踏切待ちの人の群れが車道にまで膨れあがるという状態になっている。 JR船橋駅へ行くには、さらに横断歩道を渡って向かい側の歩道に移らなければならないのだが、ここでも信号待ちを嫌って車道を勝手に横切る人が後を立たない。 また歩道自体が狭いため、スムーズに進むことがなかなかできず、これを避けて車道の端を通る人もいる。 また、先ほどの踏切では、遮断機が下り始めてからも急いで渡る人が少なからずいるので、常時見張りの駅員がついて遮断機の上げ下げの調節をしたり、ブザーで注意を促すなどしている。 このように、踏切や信号など乗換えのタイムロスとなる障害がいくつかあり、これを避けようと危険な行動に出る人が多い。

次に、ホーム中央寄りにある改札口からの乗換えについて見てみる。 ここには5台の自動改札機が設置されているが、前者よりもさらに出口は狭くなっており、混雑はさらに増す。 この改札口の場合、改札を出ると地下道があって、線路をくぐって行くために踏切待ちのような足止めをくらうことはないが、なにぶん地下道も狭いので改札口から先も列が続いて思うように前に進めない。 地下道を出て小道を抜けると、横断歩道がありその先は広い駅前広場になっている。 この横断歩道は車の交通量が比較的多いのだが信号はなく、一旦歩行者が横断を始めると人の流れがしばらく続き、車が渋滞してしまっている。 このルートは、踏切を渡って行く場合と比べて危険性は少ないが、距離的には長く、少し余計に時間がかかる感じがする。 なお、JR船橋駅には22台の自動改札機がある中央改札口の他に、Shapo口という改札があって、こちらは自動改札機が4台という小規模の改札口であるが、このルートで乗換える場合、中央口よりも近い場所に位置している。

3. 問題解決への取り組み

京成船橋駅からJR船橋駅への乗換えには、さまざまな障害や危険性があることがわかった。 この問題については、市や京成側も以前から懸案事項としてきており、解決へ向けた2つの事業が現在行われている。

(1) 京成本線船橋市内連続立体交差事業

船橋市は充実した鉄道網の発達とは裏腹に、道路整備には遅れをとってきた。 そのため慢性的な道路交通の混雑が続き、特に地上を走る京成本線の踏切がもたらす渋滞は日常生活や都市活動の大きな障害となってきた。 このような状況の中で、京成線南北の市街地の一体的発展とさまざまな障害を解消するため、都市計画事業として京成本線船橋市内連続立体交差事業が始まったのである。

この事業は、1984(昭和59)年3月に京成電鉄が千葉県と工事施行協定を締結し、用地買収等に着手、1992(平成4)年11月に着工している。 事業区間は海神駅−船橋競馬場駅間2,470mで、区間内には京成船橋駅と大神宮下駅の2駅が含まれる。 踏切16ヶ所、新設道路6ヶ所が立体化され、環境側道や、付け替え道路の整備が図られる。 駅はエスカレーター、エレベーター(大神宮下駅は将来対応)の設置や駅施設の拡充により旅客サービスが大幅に改善されるとしている。 新しい船橋駅は、2層の高架駅となり最上階がホーム、中層階がコンコース・改札口等の駅業務施設となり、中層階からはペデストリアンデッキなどでJR船橋駅までつながる予定である。

工事は現在、仮線切替工事や駅部高架橋および高架橋基礎工事等が進められているが、一部未買収の用地も残っており、これが全体の工程を左右する問題となりかねない。 用地買収については、同市を走る東葉高速鉄道が買収問題の影響で開業が大幅に遅れたという事例もあり、早期解決が望まれる。

(2) 船橋駅南口再開発事業

船橋駅周辺、特に京成からの乗換えがあるJR船橋駅南口は、これまで述べてきたようにさまざまな要因から朝の大混雑など人々に不便を強いてきた。 その要因の一つには既成市街地の道路の狭さも挙げられ、南口地区の再開発は、市の都市づくりの最重要課題の一つとして、20年以上にわたって取り沙汰されてきたのである。

南口再開発事業は、JR船橋駅と京成船橋駅の間の約3.5haを、5つの街区(A1・A2・B・C1・C2)に分けて整備していくもので、南口の中核ゾーンとなるB街区を第一地区とし、他にさきがけて1990(平成2)年3月にこの第一地区の事業計画決定を行った。

第一地区再開発の中心となるのは、商業ゾーンとビジネスゾーンおよび公共公益施設を融合させる再開発ビルで、地下3階、地上14階(高さ約65m)の規模を持ち、地下には駐車場も設けられる予定である。 2階部分には公共通路が設けられ、南側は京成船橋駅とつながり、北側はペデストリアンデッキを介してJR船橋駅まで通じるようになる。 これによって、JRと京成が直結し、安全で快適な歩行者空間が創出されるとしている。

現在、地権者とは大方合意に達し、第一地区内の既存建物の解体撤去を行うとともに、工事期間中の仮設店舗の設置および移設等の補償を行っており、2003(平成15)年度中の完成を目指して工事が進められている。

4. 今後の展望

船橋市は千葉県内でも屈指の都市である。 そして船橋駅は54万都市の表玄関として重要な位置付けをされている。 そのような重要たる駅にもかかわらず、乗客が乗換えなどで不便を強いられ、利用しにくいのではどうしようもない。 高齢化が進み、バリアフリーが叫ばれる中、地域の中心となる駅はどういう存在であるべきなのか。 一日延べ56万の人がJR・京成・東武の3駅を利用している。 待合せの場、憩いの場、出逢いの場…駅は、人それぞれに対して多様な役割をもっているだろう。 しかし本来、駅は乗降や乗換えの場としてつくられた。 これを忘れてはならないのである。

今回取り上げた船橋駅の他にも、解決すべき課題を抱えている駅は全国に数多く存在していると思われる。 ただ船橋駅の場合、現在、京成線高架化事業と南口再開発事業が行われ、問題解決の方向へ一歩一歩前進している。 両方の完成には今しばらく時間がかかる見込みだが、地元の人々の協力を得ながら、そして市民の声を考慮に入れながら工事を進めていくという。 21世紀、船橋駅が利用しやすい快適な、そして市民の誇れる空間となることを期待したい。


→「第3部 今後の課題・展望」へ



この文書に関する一切の権利は一橋大学鉄道研究会が保有します。 無断複製・転載を禁じます。


Last modified:2008/9/23

一橋大学鉄道研究会 ikkyotekken@yahoo.co.jp