コラム:新設された交通手段によって大きく通学体系が変わった事例


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1. 瀬戸大橋による通学体系の変化

香川県と岡山県に挟まれた瀬戸内海上、後に瀬戸大橋が渡ることになる櫃石島、岩黒島、与島の三島では、 本州、四国への定期船が運行されていたが、時間がかかる、また強風や濃霧などの自然条件によって 欠航や大幅な遅延が生じやすいということで、この三島の高校生は従来坂出市への下宿であった。

しかし、1988年(昭和63年)3月、本州側の児島と四国側の坂出を結ぶ瀬戸大橋が完成し、 途中の三島を結ぶ生活路線としてローカルバスが運行されるようになってからは、 三島の中で坂出市から一番遠い櫃石島からでも同市に35分で行けるようになり、 島に在住したままでも坂出市等の高校に通うことが可能になった。

またこの橋の開業は岡山、四国間の学生の動きも創り出した。 それまで宇高連絡船(岡山の宇野と高松を結ぶ)当時は、香川県と岡山県の間の日常的流動はほとんどなかったのだが、 瀬戸大橋によって両間をJRで行けるようになり、ビジネス、買物などの動きが活発化する中、伸びが著しいのが通学者であった。 特に岡山県側(特に橋の起点である児島地区)から高松、坂出、宇多津などの四国側の私立高校への進学傾向が目立つようになり、 瀬戸大橋線の通学定期券利用者数から見ても、1988年5月では254人、翌年では782人と激増し、 そして1996年(平成8年)には1802人と倍近く増えている。

まさしく瀬戸大橋は学生達にとっても本州と四国を陸続きにし、大いに影響を与えたようである。

2. 北越急行による通学体系の変化

新潟県西部に位置する上越地区にある新潟第七学区は、大きな学区である。 この中でも様々な高校が集中している上越市には、市内からではなく学区内の他の地域からも多くの学生がやってくる。 第七学区内で北陸本線、信越本線等のJR線が通っている地域では、自宅から上越市の高校まで通うことが出来るのだが、 山間部に位置しており、1997年(平成9年)に北越急行が開業するまで、 バス以外の公共交通手段の無かった大島村や松代町は、上越市までバスを乗り継いでいかなければならなかった。 大島村からは早朝の始発のバスでギリギリ通えたのだが、松代町の学生達はバスのダイヤの関係上、通うのは実質不可能であり、 地元以外の高校へ通う場合は、上越市近辺に下宿するか、人数制限がかかる隣接学区内の十日町市の学校に通うしかなかったのである。

ところが、1997年(平成9年)北越急行が開業すると、事情は一変した。 松代から直江津まで、所要時間30分列車一本で行けるようになり、上越市への通学が可能となった。 元々、東京と北陸のバイパス路線として作られた北越急行であるが、 副産物的なものとはいえ松代町らの学生達らの通学に大きく貢献したのである。

(小鍛冶 哲太郎)


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Last modified:2008/9/23

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